右端の家

 40代の女性、Tさんから頂戴したお話。

 5・6年前、Tさんのご実家の近くにあった畑付きの古い大きな借家が売りに出た。しばらく借り手が無い状態で、オーナーの住まいも遠方なため管理が難しいというのが理由らしかった。
 すると、すぐにどこかの業者が買ったのか、家も畑も整地され、あっという間に3軒の小さな建売住宅が建った。価格が手ごろだったのだろう。かつて空き家だった期間が嘘のように、3軒ともすんなりと売れていった。

 それからしばらく経って、地区の寄り合いに出ていたTさんの母親が、若い女性に声をかけられた。
「すみません……」
 例の3軒のうちの1軒。一番右端の家の奥さんだった。件の家は、小さな子供が2人いる4人家族。大きな犬を2匹飼っていて、毎日のように夫婦で犬を散歩させていた。Tさんの母親はその様子を見て、仲の良い夫婦だなと好ましく思っていたので、すぐにどこの誰なのか気づいたのだという。
「ああ、あそこの家の奥さん。どうしましたん?」
 そう応えると、女性は少し声のトーンを落として言った。
「ここって昔、なにか……どんな感じでした?」
 どんな感じと尋ねられても漠然としていて答えようが無いのだが、いかにも言いづらそうな様子が気になったので、
「あら、何かあったの?」
 Tさんの母親はあえて少し明るい口調で、何があったのかを聞き出そうとした。
 すると、奥歯に物の挟まったような言い方ではあったが、家の中で奇妙な現象が起こっていて困っていると、右端の家の奥さんは答えた。
 昼間一人で家にいると、音が聞こえることがある。どのような音がするのかまでは答えてくれなかったが、とにかく頻繁に音がする。そして、家の中に何かの気配があって、見られている気がする。
 そんな奇妙な現象が頻発するので、もしかしたら自分たちが住む前、家が建つ前、この土地で何か良からぬことがあったのではないか。“曰く”があるのではないか。それが気になって、昔からこの地区に住んでいそうだったTさんの母親に声をかけたということだった。
 それを聞いてTさんの母親は、
「さあ、なんかあったやろか……」
と誤魔化したのだそうだ。

 そう、誤魔化した。

 実は、件の土地には曰くがあった。
 半世紀近く前、大きな家がまだ借家でなかったころ、その家の一室で女性が服毒自殺をしているのだ。農薬を飲んだから亡くなる際に相当苦しんだらしいとか、だから発見時は室内も女性自身も大変な有様だったとか、ずいぶんと周囲の耳目を集めたそうだ。そして、女性が亡くなったあとほどなくして、大きな家は借家になったのだった。
「だからといって、借家が幽霊屋敷やったってことはないんですよ」
 Tさんは断言する。そう言えるのは、短い期間ではあるがTさん一家がその借家に入居していたからだ。
「私はよう覚えてないけど、実家の建て替えの時やから、5歳くらいの時かな。何かあったのなら、私は覚えていないにしても、お母さんが覚えとるやろ? でも、『いや、そんな、何もなかったに』って」
 Tさんはもちろん、母親にも、奇妙な現象に見舞われた記憶は無いらしい。
 そしてもうひとつ、Tさん一家のあとに入居した3人家族のことも断言の材料だ。
 大きな借家の最後の入居者となったその一家には、Tさんより6つ年上の女の子がいて、Tさん自身、小さいころによく遊んでもらったそうだ。家にも何度もお邪魔した。そのお姉さんは早くに結婚して家を出て、しばらくご両親だけでお住まいだったが、年老いてきたこともあり、広い家は持て余すとのことで引っ越しをされた。
 引っ越すまでの数十年間、Tさん一家とは割としっかりした交流があったとのことだが、その中で奇妙な現象の話は聞かれなかった。

 つまりTさんの母親は、数十年単位で何も起っていないのに、半世紀前の曰くだけを伝えても、いたずらに右端の家の奥さんを怖がらせるだけだと考えて、誤魔化したというわけだ。
 とはいえ、右端の家の奥さんが頻発する奇妙な現象に頭を悩ませているのは事実だ。
 土地を分けたから何か起こりだしたのか。女の人の亡くなった部屋が右端の家のところだったのか。右端の家の奥さんから相談を受けた後、Tさん母娘は不思議なこともあるものだと話していた。

 そうこうするうち、右端の一家を見かけなくなった。
 犬の散歩をしていない。家から人の気配がしない。敷地は草が伸び放題。しかしご主人の車は、時々ガレージに停まっている。
「これ、奥さん、耐えかねて子供と犬連れて出てったんちゃうやろか」
 こうTさんは想像するのだが、真相は分からない。

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