民話のパワー

今から7年ほど前、美杉森林セラピー基地の「体験ウォーキングメニュー モニター企画」にスタッフとして参加した。私が津市森林セラピー基地運営協議会に加入する契機となったイベントである。
土地の純朴さやあたたかな地元民との触れ合いによって癒しを得ることを目的とした、いわゆる “田舎の素朴さ推し” の企画だったのだが、複数回行われたイベントの中で度々朗読された美杉の民話がなかなかの生々しさだった。ステレオタイプな田舎賛美に終始した企画の中で異彩を放っていたことを覚えている。

ふたつの民話プラスアルファ

今回はイベントの中で語られた民話を、“ホンワカ長閑な田舎” ではない部分に着目して紹介したいと思う。

狐に化かされて

昔、竹原と八知の村ざかいに一軒の茶屋があった。
ある日の夕暮れ、通りがかった百姓が、「おやじ、一杯くれ」と、茶屋に入ってきた。

店には先客があって、見たこともない美しい娘が、さもうまそうにお茶をすすっておった。
百姓は茶わん酒をちびりちびりやりながら、ちらちら娘に流し目をくれていた。
娘はそれを知ってか知らいでか、すました顔でお茶を飲んでおったが、やがて、「おじさん、お代はここに置きますに」といって立ち上がると、百姓ににこっと会釈して出て行った。
後に、娘の残り香がほのかにただよった。
百姓はあわてて残り酒を飲み干して、「おおきによ」と、店を出た。

娘は夕闇迫る道を、ぽっちゃりした丸い尻を左右に振りふり歩いて行く。
それがなんともいえん可愛い。
男心をくすぐられ、カッと頭に血をのぼらせた百姓は、娘の後を追った。
目の前に竹やぶがあった。
百姓は上ずった声で、「なあ、娘さんよ」といって、娘の肩に手をかけて、竹やぶに引きずり込もうとしたら、そのとたん、娘はふっと消え、百姓はごそんどうの中に落ちていた。

このあたりに、娘に化ける狸がおったげな。

坂本幸. 美杉村のはなし. 米子今井書店, 1997.

イベントの主旨からすると、

「純朴な土地のあたたかな人たちは、狸に化かされることもあったんだね。不思議だね」

といった具合に締めくくるべきだったとは思うが、百姓がレイプ未遂した話を聞かされて、とてもそんな気分には成れなかった。
たしかに、昔の日本は性にオープンだったような話は聞いている。しかし、こういう欲情即強姦といった行為が日常的に行われていたのなら、そしてそれが、純朴な土地が醸成した文化だというのなら…。

年頃の娘を持つ身としては、純朴な土地への居住はごめん被りたいところだ。

冗談はさておき、昔話には説教めいた性格もあるので、結局は百姓のレイプが未遂に終わり、ごそんどう(藪がごそごそ生い茂った所)に落ちるという罰を与えられたということで、『知らない娘をレイプしちゃ駄目だよ』とか、『若い娘は一人で出歩いちゃ駄目だよ』といった教訓を伝えたいのではないかと思いながら聞いていた。

そうしたら、純朴な土地繋がりなのだろう。現地ガイドの男性が、

「私が子供の頃に……」

と、話を始めた。

行方不明になった男の子

私が子供のころ、小さな男の子が行方不明になってしもたんや。

もう大騒ぎで、その日、山中(やまじゅう)探したけど見つからんくてなあ。

ほんで翌日も捜索したらな、山奥の切り株の上に傷ひとつしないで、ちょこんと座っとるところを発見されたんや。

これも狐か狸に化かされたんやろなあ。

これはただ単純に迷い込んだだけな気がする。
もしくは村の有力者の子供(結構ええ年)が小児性愛者で、小さい男の子を土蔵に連れ込んで悪戯している間に村では大騒ぎになって、これは不味いということで有力者が先頭に立って山を捜索しつつ、使用人か誰かに捜索の及んでいない方面へ子供を連れていかせて、その使用人が発見したように偽装したとか?
さすがに後者はサイコサスペンス好きな私の妄想だが、狐狸の類や神隠しは口減らしに対する罪責感からの狂言だったり、単純に誘拐だったりというのが相場である。
親が口減らしのために子供を山奥へ放置してきたものの、罪責感から村人に狂言して探させたとか、人さらいが売り飛ばそうと連れ去ったは良いが、何らかの事情で売り物にならないと分かって置き去りにしたなどといった具合だ。
私の調べた範囲では、子殺しや売り飛ばしは戦前(昭和ひと桁)なら行われていた地域もあったようだ。現地ガイドの男性が子供の頃なら、おそらく昭和20年代後半~30年代前半。やはり単純に迷い込んだと考えるのが妥当だろう。あるいは、美杉では戦後も……?

また別の日には、「定位置から移動させられたお地蔵さんが村人の枕元に立つ」といった話が朗読された。

佐田山の地蔵さま

竹原の佐田山に一体の不動明王さんが祀られている。昔、この場所は、藤堂藩八手俣村と紀州藩竹原村との村境になっていて、通る者みんなが手を合わせてあがめたそうな。

さて、その昔。

「不動明王は、我が藤堂藩の領内にござる」
と、八手俣村は言うし、
「めっそうな、あれは不動明王さんではない、地蔵様じゃ。我が紀州藩の領内にござる」
竹原村もこういって主張し、地権を争っていた。その主張が、時には喧嘩の種にもなった。
「このままでは収まりがつかん。はっきり決着をつけたがいいと思うが、どうしたものでござろう」
そこで、
「しからば、不動明王さんか地蔵さまか、双方が立ち会って検分するが良い策と思うが」
「なるほど、それはようござる」
「なら、早いがようござろう。さっそく明日にでも」
「承知いたした」

次の日。

約束の時刻に村境にやって来た八手俣村の役人、こ、これは! と驚いて青くなった。その村境に立っているはずの不動明王さんの姿はなく、見たこともない地蔵さまが立っていた。何者かが、一夜の内に不動明王さんと地蔵さまとすりかえてしまったのだ。
「しまった、謀られた!」
絶句して言葉もない藤堂藩八手俣村の役人に、
「いかがかな、まさに地蔵さまでござったろう。これで、晴れてしかと我が領内じゃ」
にまにまとほくそ笑みながら紀州藩竹原村の役人がいった。
八手俣村の役人、歯ぎしりして悔しがったがどうにもならなかった。

どこから連れて来られたか、この地蔵さまはいつも花や団子を祀ってもらわしゃる。けど、やっぱり元の場所が恋しくて、しきりに人の夢枕に立って帰りたがってやが、いまだにその願いはかなっていない。

坂本幸. 美杉村のはなし. 米子今井書店, 1997.

村人達の勝手な都合(土地の境界線問題)で他所から移動させられてきた地蔵が、夜な夜な村人の夢枕に立って元の場所に戻せと訴えるも、村人達はガン無視でいまだ元の所に戻してもらえていない。
素朴な時代の不思議なお話というより、もっと生々しい印象を受ける。
当時の人びとは、信仰の対象であるものすら謀(はかりごと)に利用しなければならないほど切迫していたのかもしれない。
土地争いに水争い。血生臭いこともあったのではと想像してしまう。

田舎賛美への違和感と民話のパワー

一連のイベントに参加して感じたのは、冒頭でも同じ言葉を書いたとおり、ステレオタイプな田舎賛美への違和感に尽きる。

  • 純朴な人たちは狸に化かされるんだよ
  • お地蔵さんが枕元に立つんだよ
  • 不思議だね

こういった観点も決して悪くないのだが、私としては、民話で描かれている凄惨な出来事・怪異、歴史的背景、そこから得られる教訓などを通して、これらを後世に伝えようとした当時の人々の思いに触れたいところだ。※凄惨な出来事や怪異でないと駄目なわけではない)

先人の生々しい営みを感じさせ、それが内省のきっかけとなる。

そういう力が民話にはあると考えているからである。

内省を通した癒しも、森林セラピーの重要な要素なのだ。

まあ、私の場合、内省どころか「うっひょ~。めっちゃエグいやん!」となってしまうのだが。

※この記事は、2012年11月作成の記事に加筆修正したものです


一連のイベントの中で度々引用された坂本幸の「美杉村のはなし(米子今井書店)」は絶版になっているが、文芸社から今年、同じ著者による同名の文庫本が出版された※令和5年現在、22世紀アート社から出版
収録された話に若干の違いはあるものの、一種独特な“不穏さ”をはらんだ民話の数々が楽しめる。ご一読いただきたい。

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