「先生、カンキリって、知ってます?」
先日、伊勢市出身の患者さん(40代後半)に尋ねられました。
疳の虫(かんのむし)とは、小児が興奮してかんしゃくを起こしたり夜泣きしたりすること。
疳の虫の症状を治める「疳の虫封じ」の御祈祷は、古くから寺社で行われていましたし、患者さんの出身が“神の都”伊勢市ですからそのことかと思い答えると、どうやら違った模様。
「泣くと『疳切りに行かな』って連れてかれて、指と指の間を切られたん」
そんなショッキングな言葉に続き…。
- 鍼灸院らしきところでメスの様なものを用いて指の間を切られて、ガーゼを挟んで帰った
- 施術をするのはかなりの「おじいちゃん先生」で、父親も子供の頃に疳切りを受けていた
- 自分の家庭だけではなく、近所の子供も疳切りを受けていた(ガーゼを指に挟んでいるのでわかった)
- どの指の間を切ったのかは覚えていない
- 後に伊勢市以外の友人に聞いたが、疳切りのことは誰も知らない
このように聞かせてくださいました。
私自身、初めて聞いた内容でした。しかも鍼灸のこと、さらに一部の地域で古くから行われていたこととなると、興味が湧かないわけがありません。
「これはちょっとマジで調べときます!」
高揚気味に宣言し、その日の施術を終えたのでした。
※動画が苦手な方はそのまま読み進めてください
伊勢市の歴史を紐解く
さて、宣言したからには調べなければなりません。
40代後半のかたの親御さんが子供の頃に受けていた施術となると、少なくとも70年前には存在したことになります。自分の家庭だけでなくて近所の子供たちも受療していたとのことですから、ある程度は普及していたのでしょう。
このような場合、郷土史に当たるのが定石だと私は考えています。
斯くして手に取ったのは『伊勢市史』。そこには「疳の虫封じ」として、以下のような記述がなされていました。
疳の虫とは、親指と人さし指の間に出る青い筋のことで、宇治地区や西豊浜町では虫を封じこむカンノムシノオジイサンという人が筋を切って治したという。鹿海町では、針医者に筋を鍼で突いてもらった。
「伊勢市史」 第8巻, 250p.
ビンゴ!
伊勢市では古くから、指の間の筋を切る疳の虫封じ(疳切り)が行われていたのです。
切るのがどの指であったかも判明しました。
“青い筋”というのは靭帯や腱や水かきのことではなく、静脈のうっ滞だと思われます。我々鍼灸師が「細絡(さいらく)」と呼ぶものでしょう。そこを鍼などで切る・突く処置は「刺絡(しらく)」といって、それこそ鍼灸で伝統的に行われてきたものです。
そうなると次は、どの施設で行われていたかが気になってきます。実際に疳切りを行っていた鍼灸師に話を聞いてみたい。好奇心を抑えることができません。
鍼灸院で話を聞いた
疳切りのことを教えてくれた患者さんの記憶をたよりに、件の鍼灸院らしき施設を突き止めることができました。ストリートビュー様さまです。しかしすでに廃業しているのか、電話がつながりません。
こういう時は、あれしかないですよね。
そう、突撃です。
直近の休日に伊勢へ向かい、件の鍼灸院の戸を叩いたのでありました。
件の鍼灸院はやはり廃業されていましたが、ここで間違いなかったようです。「おじいちゃん先生」の義理の娘にあたるかたが対応してくださいました。このかたも鍼灸師で、50年前に伊勢へ嫁いでこられたのだとか。私に疳切りのことを教えてくれた患者さんが通院していたころには、すでに働いていらしたということになりますね。
この鍼灸院では代々疳切りを行っていて、50年ほど前には疳切りだけで1日に30人の来院があったそうです。子供の多い時代だったとはいえ、驚異的です。
“親指と人さし指の間に出る青い筋”を切るという手法も、伊勢市史にある通りでした。
「おじいちゃん先生」の引退後は義理の娘さんが疳切りの手法を受け継ぎ、若干のアレンジを加えつつ、11年前に廃業するまで行われていたとのことです。
ほかにも小児はりの臨床にまつわる大変興味深い話をうかがいながら、気が付けば1時間を超える長居をしてしまいました。
最後には先代が使っておられた鍼を譲っていただき、「これからは先生がやったらエエ」とのお言葉を頂戴しました。
どうやら私、伊勢の疳切りを継承してしまったようです。
※先方との約定により、屋号や鍼灸師の氏名、詳しい施術の内容は非公開とさせていただきます