異業種だけれど、鍼灸師として尊敬するおじさんの話

最近、“これまで施術してきた延べ人数” や “業界での経験年数” を使って自院の信頼性を担保しようとする同業者を、卑猥な例えやくだらない言いかえを用いて小馬鹿にする発信が目に入りました。
傲慢というか、他者へのリスペクトがないなあと感じてしまいました。
もちろん、リスペクトすることと批判することとは別の問題です。別であり、並行して存在しうるものと表現すべきかもしれません。
”延べ人数”は算出方法に疑問が残ることもありますし、“経験年数”も、免許を取ってからの年数なのか、何かを専門的に行ってからの年数なのかによっても評価は変わってくるでしょう。(この業界で潰れずに15年20年と営業できているなら、十分素晴らしいと思いますが…)
とはいえ、前述の輩やその取り巻きからは、(少なくとも私には)そういった批判的精神を感じ取ることができませんでした。ただ、馬鹿にして笑いものにするだけ。
私もふざけることの多い人間ですし、下に引用したごとく、件の発信を踏まえて下衆な例えを重ねてもいますが、それを差し引ても情けない気持ちになってしまいます。
下衆であることは同じながら、プロの施術を受ける状況といった点では、こちらの方が的を射とるんちゃうかの。
元のツイート。個人的には、「患者との距離感に関する施術者の考え」が透けて見える気がして興味深いですわ。否定はせんけど、うちとは違うって感じやな。
— 鍼灸師マスクオブじねん堂 (@89znd) May 30, 2020
そのような人たちには、とてもリスペクトする…ひとりの人間・職業人として尊重し、敬意を払うことはできないですね。特に取り巻きの連中は如何ともしがたいです。
さて、どこかの情けない同業者へのリスペクトは皆無な私ですが、尊敬していると言える人物は何人かいらっしゃいます。
今回は、尊敬できる異業種の先輩の話。
ちょっと古い出来事を持ち出して、情けない気分を洗い流したいと思います。
※この記事は、2011年09月に公開した内容に加筆修正したものです
2011年4月28日のできごと
2011年の4月28日。当時愛用していたシューズ(ビブラム ファイブフィンガーズ)のストラップが、空手の稽古中(空手といってもウェイトトレーニング中心のクラス)に破損してしまいました。
パワークリーンをしようと踏ん張ったらブチッっと切れてしまったのです。

ブチっと
破損部位を見てみると、筒状のベルトを樹脂製の部品にかぶせ、糸で縫って固定されていたようです。その接続部で縫合糸が切れてしまった模様。
ベルトそのものも擦り切れてきていましたから、そこが切れたら一巻の終わりかとも思いましたが、これなら縫い直せば何とかなりそうな印象を受けました。
樹脂部品の縫合跡は結構荒くて、“的”を外しているのもいくつかあります。

割と雑な印象
強度が不足したのはそのせいなのかもしれませんね。
靴、直らず
さて、翌日。近所の靴修理店へファイブフィンガーズを持って行きました。
靴を見せ、ストラップの破損部分の説明をし、修理をお願いしたのですが…
と、靴をちらっと見ただけであっさり断られてしまいました。
残念ですが、靴底しか直せないのなら仕方がないです。
次に、縫い合わせるなら衣料品の修繕屋でも良いのではないかと、これまた近所の修繕屋へ。
しかしこちらもストラップを一目見るや、
と、靴修理店よりもさらにあっさり断られてしまいました。
2件続けて断られてしまったので、さすがに気落ちし、とはいえ愛用していただけに捨てる気にもなれず。ファイブフィンガーズは靴箱に放置されることとなりました。
数か月後に、あの老舗。
ミツバト靴店の存在を思い出すまで。
ミツバト靴店
ミツバト靴店では過去にも、余所で「無理!!」と断られたティンバーランドのビーンブーツもどきを修繕してもらった事がありました。

素晴らしい仕事!
ゴム製のボトムが、革製のアッパーと縫製してある部分で避けてしまったのを、裏から柔らかい革を当てて縫い直すことで見事に修繕してくれたのです。
あそこなら何とかしてくれるかなあ。
そんな思いで昼休みを利用してミツバト靴店へ向かいました。
ドアを開け、靴を見せ、

恐る恐る尋ねてみると、
と、両方の靴を手に取り見比べ、破損個所を拡大鏡などを使いながら丁寧に観察したうえで…
ありがたいことこの上ないお返事をいただきました。
翌日、当時4歳の助手1号と伺うと、見事に修繕されたファイブフィンガーズが!!

がっちり再縫合
元からあった樹脂部分の穴を利用して、強固に縫いつけられていました。ちょっとストラップが短くなっていましたが、破損前に縫い付けてあった布部分の損傷が激しかったのかもしれません。

本当に嬉くて。ずっとニコニコしていたのでしょう。
帰りの車の中で助手1号が私に「パパあのおじさん好きなの?」と尋ねられてしまいました。
もしかしたら、敬意がダダ洩れだったのかもしれません。
おじさんのどこが尊敬できるのか
敬意がダダ洩れになるほど、おじさんのどこが尊敬できるのか。
技術はもちろんですが、なによりリスペクトすべきは客と靴とを前にした時の真摯な姿勢でしょう。
私は愛用の靴が破損して、とても困っていました。
近所の靴修理店は靴を手に取りもしませんでした。
ミツバト靴店のおじさんは非破損側をも手に取ってじっくりと見てくれました。(“診て”と言っても良い!)
衣料品の修理屋は樹脂製部品を見るや「針が通らないから無理」と言いました。
ミツバト靴店のおじさんはじっくりと診た後、すでに空いている穴を利用する方法を提案してくれました。
こちらが安心するように声をかけてくれました。
そして、確かな技術で修繕してくれました。
これらの対応。そのまま療術業界に置き換える事が出来ると思いませんか?
患者(客・クライアント)の話を聴く、しっかり診る、説明する、声をかけて安心させる、そして確かな技術。
おじさんの振る舞いを思い出すたび、業種は違えど本質的な部分は同じであると強く意識し、内省する私がいます。
異業種だけど尊敬できる。
そんなおじさんのお話でした。
付け加えるなら我々の場合、自分の手に余る病体であればその理由を説明し、医療機関を紹介するなど、しかるべき対応を取る必要があります。
もし靴が手に負えない状況だったらミツバト靴店のおじさんも、どこがどう破損していてどういう理由で手に負えないのかをしっかり説明してくれるでしょう。「残念やけど…」という言葉も付け加えて。
付け加えはあくまで想像ですけれど、そう思わずにはいられません。