松阪市朝田町(あさだちょう)に、地蔵菩薩を祀る朝田寺(ちょうでんじ)がある。
松阪市やその周辺の町村では、宗派関係なく葬儀の翌日に身内が故人の衣服を一着持ってこの寺に参詣する。故人が無事に極楽への道を進めるよう、地蔵菩薩に祈願するのだ(道明供養:みちあけくよう)。
故人の衣服は初盆(地蔵盆)まで本堂の天井に吊り下げられ(掛衣:かけえ)、家族は地蔵盆の期間中に再び寺を参り、故人の衣服に手を合わせる。そして衣服は、地蔵盆の最後に焼いて供養される。
地域で300年以上続けられている独特の風習である。
そんな朝田寺の初盆供養で不思議な体験をした人がいる。Kさんだ。
ある年の地蔵盆、Kさんは祖母の供養のため、父母とともに朝田寺を参詣した。掛衣のときには父親だけが参っていたので、Kさんが朝田寺を訪れるのは初めてとなる。
Kさんは本堂に足を踏み入れた途端、その特異な空気に気圧されてしまった。天井にびっしりと吊るされた衣服も異様ながら、何よりも、暗いのだ。戸は開け放たれているし、今は夏で天気も悪くない。こんなに暗いはずがないのだ。にもかかわらず、ルクスやルーメンといった単位で表される実際の明かりが不足しているとも、黒い何かが本堂の中に充満しているとも思える暗さがそこにはあった。
「うわぁ、ここ嫌やなあ」
退出したい気持ちを押さえながら着席して待っていると、やがて読経が始まった。
するとその途端、外からさっと風が吹き込んできて、霧が晴れるように部屋が明るくなっていったのだ。
なんとも不思議で、どこか清々しい気持ちにもなったそうだ。
「なぁお父さん、なんか見えとった?」
供養のあと、帰り道でKさんは父親に尋ねてみた。父親はいわゆる“見える人”なのだ。
「あー。和っさんがお経読み始めたらな、外から子供らが入ってきて走り回っとったぞ」
読経開始直後に感じた風は、子供たちだったのかも知れない。
【おまけ】朝田寺に行ってみた
私の実家も朝田の地蔵さんに衣服を掛けに行く地域にあります。
かなり幼い頃に地蔵会式にも行った記憶があります。(五平餅を食べた気がする…)
残念ながら本堂内部の記憶はありません。数年前と十数年前に祖父母を無くした時も、私はすでに津の人間でしたから、掛衣にも初盆供養にも父母や叔父が出ているはずです。
というわけで、懐かしさ半分好奇心半分に朝田寺へ参詣しました。
山門の前に立った時点で、「あれ、こんなんやったかな?」です。それはそうですね。下手をすると40年以上ぶりですから。
歴史を感じる本堂のたたずまい。
朝田寺は平安時代に空海が創建したとされていますが、現存する本堂や書院などは江戸時代に建てられたものだそうです。
朝田寺は牡丹や庭園も有名なのですが、クスノキも見ごたえがあります。
樹齢は300年以上。樹高は15メートルほど。主幹が途中で切られている(折れている?)ようでした。本来ならもっと背が高かったのかもしれません。スジダイの古木もありましたが、写真を撮るのを忘れてしまいました。
こちらは経堂でしょうか。
近づいてみてみると、扉に無数の紙が貼られていました。
書院(こちらも写真撮り忘れ)の前には看板が設置されていて、道明供養のあらましや朝田寺の行事について記されていました。
水子供養も毎日行われているのですね。子供を救うとされる地蔵菩薩を祀っているのですから、当然と言えば当然です。
Kさんのお父様が見た「走り回る子供たち」は、まだ成仏していない水子の霊だったのかもしれませんね。
境内でたっぷり遊んで満足したら、地蔵菩薩の導きで天に昇っていくのでしょう。