鳴く犬の伝承

ここのところ民話に興味があって、三重県のものを中心に読み漁っている。

そこで気づいたのが、意外に同じような話が全国に散らばっているということだ。京都で有名な「幽霊の子育て飴」は、三重県の桑名にもまったく同じような話があるし、「和尚と3人の小僧の笑い話」も少しずつパターンを変えて、三重はもちろん全国各地に遺されている。

今回は、同じような話シリーズのなかにあっても一際異彩を放つ、“鳴く犬の伝承” について、お伝えできればと思う。

 

 

三重県の話

先ずは我らが三重県。

津市美里町に、次のような伝説がある。

 

永禄年間(1558~1570年)のころ。

長野城主の家臣に、狩りを好む鹿間(しかま)という武士がいた。

常から優れた猟犬を得たいと望んでいた鹿間は、夢の導きに従って訪れた影重(今の河芸町影重)で名犬を手に入れ、長野に戻って狩りの日々を送っているのだった。

数年たったある日、いつものようにたくさんの獲物を狩って帰ろうとしていると、犬が盛んに鹿間に向かって吠えたててきた。追い払おうとすれば弓矢にかみつき、構わず進もうとすれば、行く手を阻んで吠え続け。

鹿間は、“仕留めた獲物が1,000頭を超えると、猟犬が主人を食らう” という言い伝えを思い出し、

「そうはなるか!」

と、腰の刀で犬の首を刎ねてしまった。

すると、犬の首は鹿間の頭上を越えて背後に生えている樹の方へ飛んでいき、枝の上にいた大蛇に喰いついた。大蛇は鹿間を丸呑みにしようと狙っていたのだった。

鹿間は自らの勘違いで忠犬を殺めてしまったことを悔やみ、その場に犬の首を葬って塚を築いた。また鹿間自身も高野山に登って仏門に入り、碑を立てて供養をおこたらなかったそうだ。

 

今でも美里町平木には、犬の首を葬った塚が遺されている。

 

大阪府の話

津市美里町の伝説と極めて似た話が、大阪府泉佐野市にも存在する。

 

【義犬伝説】

天徳年間(957~961年)紀州のある猟師が鹿を追って滝のあたりに来た時、連れていた愛犬がうるさく吠えたてました。

そのせいで獲物を取り逃がした猟師は、怒って犬の首をはねてしまったのです。愛犬の首はそのまま踊り上がって、猟師を呑もうと狙っていた大蛇にかみつき、蛇とともに息絶えてしまいました。

犬が吠えたのは、主人の危急にいち早く気づき、救おうとしたからでした。この心を知った猟師は悔いて修行者となり、愛犬をねんごろに供養し、また自分の田地を不動堂に寄進しました。

この時より宇多帝(うだてい)より犬鳴山と勅号を賜うたのである。

(泉佐野市観光サイトより)

 

“津市美里町の伝説と極めて似た”などと書いてしまたが、記された年代が本当ならば、こちらの方が600年も古い平安時代の出来事ということになる。

 

福岡県の話

福岡県にも犬鳴山があり、他のふたつの地域とよく似た伝承が残っている。

 

犬鳴山で猟師が犬を連れて猟をしていた。犬が激しく鳴き続けるので獲物がとれぬと、この犬を鉄砲で撃ったそうな。ふと上を見上げると、1丈5、6尺(約5m)程の大蛇が姿をあらわした。犬が鳴いて危険を知らせたものを、誤って撃ったことに猟師は後悔した。猟師は鉄砲を捨てお坊さんになり、この山に犬の塔を立てたそうな。それから犬鳴という

(“「筑前名所図鑑」による”と記された犬鳴ダムの看板から)

 

犬鳴山の傍には犬鳴峠と呼ばれる峠があり、犬鳴ダムや犬鳴隧道など、心霊スポットとして有名だ。犬鳴村(犬鳴谷村)の都市伝説をモデルにした映画も2020年2月に公開される。

 

都市伝説的解釈

さて、今回の記事。最初は福岡の犬鳴と三重の義犬塚の話を書くつもりだった。

由来が似ていて、両方とも近くに心霊スポットである旧犬鳴トンネル(犬鳴隧道)と旧長野トンネル(昭和トンネル)があるといった具合だ。

ところが、調べを進めていくうちに由来がずっと古い大阪の犬鳴山の存在を知った。こうなるとそれぞれのつながりが気になって仕方ない。結局、3つの土地の共通点を探すことになったのだ。

その結果、奇妙な符合がいくつも浮かんできた。

 

信仰上の符合

大阪の犬鳴山周辺は修験道最古の行場と言われ、非常に重要視されている(葛城修験)。空海が修行したとも伝えられているほか、境内に義犬像のある犬鳴山七宝瀧寺空海を開祖とする真言宗の寺院であり、修験道の中心寺院とされている。

 

福岡の犬鳴山地一帯は宝満山修験道の行場だ。福岡の犬鳴山伝承では猟師が鉄砲を使っていて、狩猟に鉄砲が使われ出したのは17世紀ごろと言われているから、修験道が盛んになった中世と(かなりおおざっぱではあるが)時代的に重なる。

また、宝満山自体も長きにわたり信仰の場とされている。宝満山の竈門(かまど)神社では奈良時代から平安初期にかけて国家的な祭祀が執り行われたほか、最澄や空海をはじめ、遣隋使や遣唐使など大陸へ渡る人々が航海の安全と目標達成のために登拝し祈りを捧げたと伝えられている。

 

では、三重の義犬塚はどうか。

近くの経ヶ峰が行場であったことは聞いたことがあるが、長野峠との関係は定かではない。しかし、鹿間が入山したのは高野山。空海が開いた高野山である。鹿間は真言宗の僧侶となったのだろう。

 

修験道、真言宗、そして空海。あまりにも似通ってはいまいか。

 

地理的な符合

3つの土地に関する共通点がほかに無いかと考えたとき、分水界(分水嶺)という観点に気が付いた。分水界とは異なる水系の境界線を指す地理用語である。山の稜線と分水界が一致していることが多く、そのような場合は分水嶺と呼ばれている。

 

長野峠は、名張上野方面と伊勢湾方面とを分かつ分水嶺だ。義犬塚のすぐ隣にも、雲出川水系の長野川が伊勢湾に向かって流れている。

 

福岡県の犬鳴山。こちらも案の定、犬鳴隧道が福岡と筑豊の分水界だった。

 

そして大阪の犬鳴山。分水嶺であるかどうかは残念ながら分からなかったのだが、周囲の地形を調べていると興味深い事実が分かってきた。

犬鳴山の南には、中央構造線に沿って紀の川が流れている。この紀の川をさかのぼると、奈良県に入って吉野川と名前を変え、さらに源流は我らが三重県の大台ヶ原。大台ヶ原も分水嶺で、太平洋側へは宮川が流れている。三重県を縦断する分水嶺を追っていくと、大台ケ原と長野峠が繋がるのだ。

 

我ながら川まで遡って分水嶺(界)に関連付けるのは強引な展開だと思う。とはいえ、川に視点を移すことで、さらなる重要な符号が見出されてくる。

 

キーワードは水!

伝承の中で出てくる“大蛇”のことを、思い返してほしい。

蛇は日本の信仰上、田の神・水の神である一方、水害や土砂災害を暗示する生物でもある。大蛇を殺すことは、何らかの水害を治めたとも解釈できる。

つまり、“鳴く犬の伝承”そのものが、治水を暗示していたのだ。

生活、農業に必須な、人間の生命線たる水。各地域の状況はどのようなものだったのだろう。

 

日本有数の多雨地帯である大台ケ原を水源とする紀の川は豊富な水量を擁し、下流域の和歌山平野では度々氾濫を起こしていた。治水に苦慮していたことが窺われる。

一方、上流の吉野川。慢性的な水不足に苦しむ奈良盆地に住まう者からは、その豊富な水量が喉から手が出るほど魅力的だったようだ。

 

次に、三重の状況。伊勢平野は農地が河川よりかなり高い位置にある関係から取水が困難であり、地下水の量も少なく、やはり古くから水争いの絶えない地域だった。

 

そして福岡の犬鳴も…。

犬鳴隧道は、戦後間もない近代に開通したにもかかわらず、底部には秘密裏に水路が掘られていて、町の境を越えて取水・送水されていた。その後、水を取られた(盗られた?)側の知ることとなり、大きなトラブルとなったらしい。ここでも水争いは根の深いものであったと推察できる。

 

義犬塚大阪の犬鳴山福岡の犬鳴山も、水争いや治水の問題の多い地域だったわけだ。

 

さらに、先ほどから何度も名前の挙がっている空海。

彼は遣唐使として派遣されていた中国(唐)から密教を持ち帰っただけではない。井戸掘りの技術を持ち帰って普及させたほか、ため池の堤防建設などの土木・治水事業も多数手がけたと言われている。

 

なんということか、土地・水問題でさえ、空海に繋がってしまうのだ!

 

鳴く犬の伝承が示すものとは

諸々の奇妙な符合が見出される中、私は一つの結論にたどり着いた。

 

各地の伝承は、それぞれの地に実在した “ある組織” の存在を示している

 

山を根城とし、水界周辺の警備や下流の治水事業を担い、平時は犬を使役して狩猟生活を行う組織が、古来より存在したのではないだろうか。

さらに注目すべきは、空海とのつながりである。

今回紹介した中では最も古い伝承である大阪の犬鳴山の伝説に登場するのは、“紀州のある猟師”だった。

犬鳴山と紀の川を挟んだ紀州側(和歌山県側)には何があるだろう。

そう、高野山だ。

高野山といえば、空海が入山する際に地主神が2匹の犬を連れた姿で道案内を務めた逸話がある。そのことから地主神は狩場明神や犬飼明神と呼ばれるようになったとのだとか。

つまり、水争いの多い地域に紀州から犬を連れた猟師が来訪する描写は、かの組織の後ろ盾に高野山があることを示しているとも考えられる。高野山の後ろ盾があったからこそ、件の組織は空海の持ち込んだ最新の治水技術を駆使できたわけだ。

彼らは、次第に組織を近畿から東海・九州へと拡大していった。三重の長野峠には前出の稜線を渡ってたどり着いたのだろう。時代によっては鹿間のように、誰かに召抱えられることもあったはずだ。

 

各地に遺る “鳴く犬の伝承” は、彼らの一里塚なのである!

 

まあ、「信じるか信じないかは、あなた次第」ということで…。

 

 

【おまけ】義犬塚に行ってみた

せっかくなので、義犬塚に行ってみました。

津市観光協会公式サイトの地図だと美里の総合支所に誘導されてしまうので、“平木地内の国道端”という文言だけを頼りに、いざ、平木へ。

国道163号線を津市内から伊賀方面へひたすら進み、長野峠に入ります。

新長野トンネルの手前を旧長野トンネル方面へ曲がると…

この先「旧長野トンネル」

100メートルほどでそれらしきお堂が見えてきます。

本当に道路脇

塚…というか、地蔵堂でした。

真新しい立て看板には、“犬塚地蔵”の文字。件の伝説とともに、“ハシカや授乳の障害、首から上の病気などに霊験著しい”とも書かれていました。

きれいに整備されています

地蔵堂の隣にある碑のほうがそれらしい感じ。

こちらにもお供えが

残念ながら、碑文は風化のためか判読できませんでした。

 

もちろん、旧長野トンネルには行きませんでしたよ。だって、怖いですもの。

興味のあるかたは自己責任で…。

義犬塚(犬塚地蔵)

※本エントリーは“面白おかしさ”を優先し、さまざまな場所から切り取った情報を都合よく並べて使用しています。史実と異なることもあろうかと存じますが、あくまでエンターテイメント・都市伝説としてお楽しみください。

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